前々回のメルマガにお便りをいただきました。
~ここから~
(1通目)
赤木さんを自殺に追い込んだのは
明らかに安倍氏でしょう。
人の恨みを買うからひどい目にあったのです。
統一教会のような反日カルトの広告塔になったり
山邉先生にも申し訳ないが
私は安倍氏を一切評価いたしません。
(2通目)
安倍氏が国会で「私や事務所が関係していたら
国会議員も首相もやめる」と発言したことで
財務省は慌てて佐川が赤木さんに改ざんを
命じたと思います。
安倍さんがあのような軽率な発言をしたことが
公文書かいざんにつながった責任があると
思うのです。
安倍さんの悲劇は周りに諫言する側近が
いなかったことにつきると思います。
私も第一次安倍政権発足のころは
戦後レジームからの脱却を
安倍さんに期待したこともあるのです。
また統一教会のような日本を馬鹿にした
おかしなカルトとはさっさと手を切ってたら
あんな死に方はせずにすんだと思います。
(後略)
~ここまで~
さて、こういったご意見を聞いて
どう思われますでしょうか?
その通りだと思われるでしょうか?
それとも一部理解できるが、その他は賛同できない
と思われるでしょうか?
それとも全面的に違う意見でしょうか?
意見の相違があることは民主主義国家にとって
非常に重要なことです。
ですから、あなたがどう思ったとしても
それは問題ではありません。
日本には思想の自由も、表現の自由もあるのですから
どんな思想を持ってもそれは自由です。
まぁ一部「日本には自由がない」と言う
ヒトもいるようですが、そういった偏屈さんは
ここでは一旦おいておくことにします(笑)
話を戻しますが、私自身のことを言えば
私が世の中のすべてを知っているとも思いませんし、
すべて正しいとも思っていません。
私の意見はあくまで「私」という個なる人間の
感じた一側面でしかないのですから
当然のように人間の限界があります。
そして同時に私の意見とは違う意見を
その根拠とともに知ることで、
その意見に至った経緯を知ることができます。
そのためこうしたご意見を聞く機会は
とてもありがたいものです。
それはより多面的な視点と情報を集約すれば
個の限界を拡張することができるからでも
あります。
こうした前提に立った上で、私が返信したメールを
皆さんにシェアしたいと思います。
転載しますので以下どうぞ
~ここから~
(1通目)
安倍さんに対する評価が二分しているのは承知しています。
もちろん私の意見に賛同する必要はないと思いますし
色んなご意見があって当然だと思います。
そもそもで言えば「ヒトに対する評価」なのですから
良いか、悪いかの二元論で語れるものではありません。
なんとなれば、ヒトは誰にも褒められる部分と
批判される部分があるでしょう。
誰しも墓場まで持っていきたい秘密のひとつやふたつ、
あるものだと思います。
100%品行方正かつ清廉潔白な人物など
存在しないと思っていますし。
安倍さんの話を考える際にも
その前提で評価される部分と批判される部分の両方が
あってしかるべきですし、その両方を踏まえた上で
総合的にどう考えるのか、なのだと思います。
もちろん、公職にいたヒトなのですから
一般人よりも高い倫理基準を持っていてしかるべきですし
それを求められて当然だと思います。
という前提に立てば、おっしゃられた赤木ファイルに
まつわるエトセトラをどう理解するか、ということ
がひとつの論点になると思います。
つまるところ違法行為があったのかどうか
法に触れることを行ったのかどうか
がその判断基準になります。
赤木ファイルの件について具体的に言えば
「公文書の改ざんを指示したのは誰か」
という点につきます。
安倍さんが直接であれ間接であれ
「改ざんの指示」を行ったのであれば
安倍さんがその違法行為の責任を負うべきですし
財務省の官僚が指示を行ったのであれば
その人物が責任を負うべきです。
もちろん世の中には判断の難しいグレーな部分が
あるというのはもちろんですが
最終的には「違法か合法か」の線引きによって
罪と罰を確定させるものだと思います。
それが法治国家というものです。
そういった意味では、タレントや政治家が
「不倫」でネットやメディアで叩かれ
引退に追い込まれることが昨今多くなっていますが
あれは明らかに行き過ぎだと感じます。
不倫に対する民事上の責任は発生しますが
それは配偶者に対する責任であって、
社会に対する責任ではありません。
また同時に刑法上の責任は発生しません。
ありていに言えば、日本の法体系においては
「不倫」は当事者の問題であって
社会の問題ではないということです。
もしそれに社会が判断を下すというのであれば
イスラム社会のような、「石打の刑=死刑」といった
刑法上の刑罰を設定するべきだと思います。
先にも書きましたが、安倍さんに対する評価が
私と違っていても何ら問題ありません。
むしろ今の日本が「違い」を認められる社会である
ことは、民主主義国家において重要なことだと思います。
同時にその判断基準をどう持つか、という点に関して言えば
合法か違法かという視点が重要だと思います。
以上を踏まえて少々お聞きしたいのですが
「赤木さんを自殺に追い込んだのは明らかに安倍氏」という
ご主張において、安倍さんの法的責任を明らかにするような
「物的証拠」をお持ちなのでしょうか?
それともそのご意見の元になっているのは
ご自身の「印象」なのでしょうか?
よろしければご拝聴させていただけると助かります。
(2通目)
赤木氏が自殺に至った件、赤木氏がそれ以外の選択を
取れなかったことについて、個人的に思う部分はあります。
彼を自殺に追い込んだ背景のひとつとして
確かに安倍さんの「国会議員辞めます発言」が
なかったとは言えないでしょう。
しかし私自身は、それが直接の原因であるという
立場には立ちません。
要因の大きなものを順に考えると
1)佐川氏による遵法精神の欠如と指示
2)野党による度を過ぎた追求
3)近畿財務局による値引きおよび特殊な契約
であって、安倍さんの責任よりもむしろ
佐川氏、野党、近畿財務局の責任が大きいと考えます。
安倍さんの発言がなかったら、と言った
仮定の状況上の仮説を組み立てるのは
事実を積み重ねて考えた解釈とは信頼性が異なりますし
およそ科学的な考え方ではありません。
佐川氏自身、圧のかかった状況で
違法行為を求める人物であるのなら
安倍さんの発言がなかったとしても
同様の圧がかかった時に同じような行動を取る
蓋然性は高いものです。
また安倍さんの発言がなかったとしても
野党による国会追及で官僚への圧力は
非常に大きいものですから、近畿財務局による
一連の特殊な土地取引に関する枝葉末節に
対する追及は大きかったでしょう。
そもそもですが、土地取引への安倍さんの関与など
「全くなかった」のですから、
それ以上に安倍さんの責任を問うことは
ただの人民裁判でしかありません。
ここ日本は法治国家であって
中国だとか韓国というような「気分」で
弾劾されるような国ではないのです。
検察が捜査を行い、かつ起訴に持ち込むには
検察が「勝てる案件」である必要があります。
その前提で、検察の捜査が土地取引ではなく
「公文書」留まっているのは、公文書の方が
「勝てる案件」だからに他なりません。
その「勝てる案件」ですら不起訴なのですから、
土地取引においてなど、何をかいわんや
ということです。
政権による介入があった「ハズ」であるから
責任を問う=罪に問うべきである
と証拠なしに言うのは、「気分」による弾劾を
求める途上国マインドでしかありません。
そもそもで言えばこの森友問題は
ごね得を目指した籠池氏に一番大きな問題があり
彼が「ごねる」ことを延々繰り返した背景に
それを許容してきた日本社会の問題があります。
要するに、官僚や公務員が打たれ弱すぎるのです。
問題の根本を問うなら、そういった日本社会の
根幹に手を付けるべきですし、ごね得を許さない
社会への転換を考えるべきです。
私たちは目立つ政治家をメディアの空気と
一緒になってディすることではなく
メディアが作った世間の空気に同調することなく
事実の積み上げからものを考えるべきだと思います。
いい加減、日本人は過度の空気を読む
「ムラ社会」から卒業した方が良いと思います。
~ここまで~
安倍さんの件については世間の評価が分かれる分、
掘り下げることによる社会の構造的欠陥と
特徴に対する理解も大きくなりますので、
改めて別の視点からも取り上げたいと思います。